1701 TURANDOT BLOG

I want to go back to Wien !!!

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こんにちは、中目黒のKです。

本日も前回の続きより、「私の夏休み」編になります。

それでは、ホームに降り立った私に告げられた事の真相とは。。。
本日もお付き合い下さいませ。


さて、この異様な雰囲気の中私は、他の乗客達が駅員や警察官にいろいろと質問しているのを後ろから見守っておりました。
駅員さんは英語が出来ないみたいで、ドイツ語を話せる乗客がいろいろと聞いてくれて、その後他の乗客達に説明してくれました。

「ブダペスト駅に沢山の難民(シリアなどから逃れてきた)が押し寄せ、国が駅を封鎖し電車の運行を止めた!」

…この時点で、私の英語力では「refugees=難民」が理解出来てはいなかったのですが、大体の感じは掴めました。


そうなんです、新聞やニュースでもご覧になられたとは思うのですが、内戦が続くシリアなどからドイツやイギリスを目指して避難する人々。その人々が9月1日の朝、ブダペスト駅に押し寄せ駅は大混乱に。
国はブタペストに発着する全ての電車をストップさせ、駅を一時閉鎖したのでした。

そんな日に巡り合わせたかのようにブダペスト行きの電車に乗った私。
今となっては貴重な時代の生き証人となったわけで…。



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さあ、ここら辺りから本気でヤバイな~と思いだした私。
他の乗客はとりあえず動いてる交通機関(私鉄、地下鉄、タクシー)を駆使し、ブダペストへ向かおうとしているみたいで、駅の構内・周辺もちょっとバタバタとしておりました。

私も他の乗客や駅員さんに移動方法を確認するも、ハッキリとした答えが得られず。。。
*駅員さんに聞いてみると「俺に聞かれても国が電車止めたから、これからの予定なんて分からんよ!」と、軽くキレられる始末でしたし…

さて、この時点で時計の針は10時を回っていたと思います。
帰路の事などをいろいろと考えた挙句、今回ブダペスト行きは断念することにしました。
(もし仮にブダペストへ行っても、帰りの電車があるのかも怪しいものでしたし。)

*後になって分かった事ですが、実はブタペスト発の電車はこの日から数日は停止しており、結果的にこの判断は正しかったのだという事に。

となれば善は急げ、目指すは「ウィーン」です!

ところがここで問題が!!!
ブダペストから電車は出て(動いて)いないのです。

どうやって帰るの!?
もう、この時がヤバイモードマックスでした!



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それでも、とりあえずはウィーン方面へ向かう電車のホームへ移動することに。
この選択が吉と出ました!!!
困っている私を見兼ねたのか、ハンガリー人の男性のおじさんが話しかけてきて下さり、事情を説明すると…
「自分もウィーンとブダペストの中間の駅まで帰るから、もし良かったら一緒に行くかい?」と。

おじさんが言うにはブタペストからの電車は動いていないけど、他の国からなら電車が動いている。だからその中間の駅まで行ってみれば『たぶん』各駅停車みたいなものはあるはずだと…。

この『たぶん』の言葉に賭け、途中まででも帰れればの一心もあり、おじさんと一緒に電車へ乗車。
しかし、ここまで乗って来た電車とは違いウィーンまでの半分の道を戻るだけでも2時間強。しかも、エアコンなしのボロボロの電車。車内温度は優に35度は超えていたと思われ…。
そして、やっとのことでおじさんの駅に到着。(この時既に14時は過ぎていたと思います。)

さて、ここからは嘘のような話に…。
駅に到着するや否や、おじさんが駅員さんにドイツ語で色々と聞いてくれて…なんと!
(確か)プラハ方面から到着したウィーン行きの特急の出発が遅れていて、ちょうどあと2分程で出発するとの事!? さあ‼おじさんと走ってホームを探し、別れの挨拶&感謝の言葉を述べ握手をし、その電車に乗って1分もしないうちに電車は出発。今度はエアコンも効いている快適な車内で爆睡すること1時間半。
無事、ウィーン中央駅に到着。(時計は16時を回っておりました)

正しく事実は小説より奇なり。

*この日、ウィーン駅には警察官やら取材のカメラやら、避難民受け入れ賛成派のボランティアの人達やらがごった返しておりました。(写真はそのボランティアの方々です)


駆け足でお伝え致しましたが、以上が「私の夏休み」です。
世界が抱える問題に触れたり、また人間の優しさに触れたり。。。
もちろん、ブダペストへのリベンジを誓ったり!

いや~いろんな意味で良い経験をした旅でした。

(最後までご拝読頂きましてありがとうございます。)